電子カルテ更新を振り返って

今春のベンダー乗り換えを伴う電子カルテ更新について、データ移行以外の部分をまとめていなかったのでまとめてみます。
当院はベンダー選定までに丸1年かけました。ベンダーや目的(パスとか)ごとに全国の病院を行脚して、お邪魔した病院は計10病院にのぼりました。また、その間に各ベンダーに院内デモも数回行ってもらいました。
ちなみに電子カルテ更新プロジェクトのメンバーは総勢30人ほど。各部署から役職にこだわらず実戦部隊として動ける人・意見を言える人をチョイスし、月に1回のペースで開催してきました。よくありがちな烏合の衆で意見がまとまらないなどということはなく、比較的スムーズにプロジェクトは進行し、稼働移行も続いているプロジェクト会議は現在のところ27回を数えるところまで来ています。(遠い目・・・)
あーだこーだやって、その後、各ベンダーに仕様書の提示と提案書を作成してもらい、総合判定会議に諮りました。ここまでで12ヶ月。
結果、ベンダー乗り換えが決まったわけですが、当時はその後に待ち受けている困難を知る由もなく、希望に胸を膨らませていました。
なにしろ、全国でまだ稼働していない超最新型の電子カルテです。「あれもできるだろう」「これもできるだろう」とワクワクしていました。それは根拠の無い期待ではなく、旧版の出来栄えに加えて6,000項目に及ぶやりすぎな程の(笑)機能確認項目上から判断したものでした。決して「表紙を含めてやっと10枚程度の仕様書」や、「とにかく安く」で選んだわけではないのです)
 
しかしながら現実はそう上手くは進みませんでした。
まず最初に面食らったのは、ベンダーが違うと言うことは開発の哲学が違うこと。
某F社の哲学、T社の哲学。これらの違いを理解するのにとても時間がかかりました。これは電子カルテベンダーを乗り換える際に必ず直面する壁だと思います。
ですが、その壁は当然乗り越えるべきものであるわけで、さほど問題ではありません。最も私たちを苦しめたのは開発の遅れです。
マスタースケジュールでは、ワーキンググループが始まるころにはβ版がリリースされている予定でしたが、出てきたものはβと呼ぶにはほど遠いものでした。Googleはいつまでもβ版ですが、こちらのはα版にも及ばないものでした。というか、後述しますが設計仕様書レベルwww。
要は、哲学が違う、哲学のギャップを埋めようにも実物は無い、口頭でのディスカッションによるイメージだけで運用を詰めていかなければならなかったわけです。具体的に見れても「こういう画面になります」といった画面キャプチャをパラパラ漫画のように見るだけや、前身のシステムの画面を見せられて「こんな感じで動きます」ってのが精一杯といった惨状でした。
遅れたのはβ版だけではありません、初期リリース版のバージョン1.0から始まり、当院納入版の2.0までどんどんマスタースケジュールから遅れて行き、最終的には2ヶ月は遅延していました。
超最新型ではなく、他病院で動いている安定パッケージを採用すればこのようなことは無かったのですが、後の祭りです。
操作教育ではエラー頻発で「本当はこう動きます」という説明がいちいち入り、とても操作研修と呼べるものではなく、続く第1回目リハーサルでは予定の1/3ぐらいしかパターンが消化できない、なぜなら画面が予定通りの動きをしない状況だったから。
こうして当初予定だった1月2日稼働は、12月初旬の時点で絶望的なのは火を見るより明らかになり、プロジェクト会議でも圧倒的多数で稼働ディレイが決まりました。(それでも「予定通り稼働させるべき」との声があったのには驚きでした)
この頃のプロジェクトメンバーの心理状態は最悪でした。延べ200回を超えるワーキンググループを掛け持ち、その上さらに部署の批判の矢面に立たされるメンバーと病院全体の批判を背負うシステム準備室、そして病院から袋だたきに遭うベンダーの構築部隊。
院内の職員対プロジェクト、構築部隊対開発部隊。それぞれは頑張っているのですが、製品が動かないのでは言い訳のしようがありません。残念ながら私たちではどうしようも無かったのです。
時には病棟で担当師長から「これじゃぁ看護部の皆に『使って』なんてとても言えない」と涙ながらに心情を吐露されたこともありました。今でもあの時の師長さんの涙は忘れられません。
なんとかしなければならないのだけれど自分ではどうしようも出来ないジレンマ。この結果、私はうつ病になりました。うつになってからは、自分で積極的にリードし、問題を洗い出し、解決策を提示するというその時点で出来る限りの最善の努力が出来なくなってしまいました。
現場に出る機会も少なくなり、デスクワークばかりしていたと思います。そして口に出来るのは抗うつ薬アクエリアスで飲むだけ。家に帰れば洗面所で泣きながら胃液だけを吐いていました。最初は妻に隠れてトイレで吐いていましたが、妻を気遣うそんな余裕はあっという間に奪われていました。
 
それでも稼働日はやってきます。
幸いにもシステム的には安定して、システムダウンなどといった大規模かつ致命的なトラブルはなかったのですが、所詮は突貫工事で間に合わせたようなシステムですから各所でエラーが頻発しました。そしてこの時点での最大の問題は「使いにくい」という部分でした。
機能はあるけど、そこに到達するのがやたら面倒くさい。あるドクターの例えで「車だったら、右に曲がりたいのに、左に3回曲がらせる」ようなユーザーインターフェースだったのです。
システム更新までは医師カルテだけ紙だったので、完全電子カルテ化には医師の抵抗はある程度は想定していましたが、なんとか使ってもらわなければならないのに御世辞にも使いやすいとは言いがたいUIを提供することになってしまい、医師の反発はそれは大きいものでした。
この医師に優しくないUIは、その後のバージョンアップで少しは改善されましたが、まだまだこれからかなりのブラッシュアップが必要である部分です。
プラスに考えれば「これからの伸びしろがある部分」とも言えますが、医師には多大な負荷をかけてしまっていて本当に申し訳ない気持ちで一杯です。ここは最も重要な部分なので、ベンダーさんには真剣に取り組んで頂きたいと思っています。
 
とここまで悲しい出来事ばかり書きましたが、悪い面だけではありません。
このシステムは、とりわけ看護支援システムはすばらしいと私は思います。現場の看護を誰よりも知っている情報工学者としての私が太鼓判を押します。私の評価では85点はあげる。(医師のUIは20点ぐらいだけど)
そして、データの二次利用。これは私たち病院側がベンダー任せにせず、ポリシーを持って作り出したものなので、国内のどこに出しても恥ずかしくないと思っています。二次利用の部分は後から改修するには限界があるので、立ち上げ時にしっかり出来上がってなければ活用に制限が出てしまうと私は思っていますし、それが出来たと自負しています。
 
私が今回の電子カルテ更新プロジェクト及びその後の医療情報システム業界の事情を調べて思ったのは、影響が少なかったソフトウェア業界の現実が医療界にも押し寄せてきている(た)、具体的に言うと「営業と技術の乖離」と「マン」&「マンパワーの不足」です。
後者は、幅広い見識で医療界を見渡し、アウトラインを正確に導き出し製品設計ができる人材(man)が足りないのではないかと思う。それは、技術力ではない、単純にそう考える立場の人が居ないのではないかと思う。そして医療はどんどん進化し求められる機能は湯水のごとく湧き出てくる、しかしソフトウェアの品質を保つためにはテスト工数をおろそかにすることは出来ない。これらに対し限られた工数(パワー)のなかで対応をしなければならない、限られた工数の根源は過当競争の中で十分な売り上げが確保出来ないからであって、そうなれば今あるマンパワーの中でバランス配分をきめて実行するしかなく、結果としてどちらも十分な品質の担保とならないのです。
デフレ社会で内需が縮小する現代、医療・福祉の充実が叫ばれて久しいですが、まだまだシステムに投資する余力は出てきそうにありませんし、そうであれば今の状況は変わらないのだろうと思います。医療・福祉は集中と選択の選択されるものの中に入っているだけマシなのかも知れません。
 
今までこのblogでデータ活用といった光の部分ばかりエントリーしてきましたが、このような陰の部分も書かねばと思いエントリーします。
一般的には「喉元過ぎれば熱さ忘れる」的に「いい思い出」として笑って話せるのが電子カルテプロジェクト。しかし、私たちはあまりの熱さに忘れることが未だに出来ないでいるのです。
一言で言うなら、本当に辛かった。

電子カルテ関連のエントリーまとめはこちらから