医療におけるSuit&Geek.その2

医療をSuit&Geekの視点で見るとおかしいことがある。
まずは、Geekである医師が病院のトップになるという構造自体がおかしい。
病院長とは企業でいうCEO(最高経営責任者:Chief Executive Officer)であり、経営を含めて全責任を負う立場である。小さな企業でない限りCEOはSuitだ。
しかし医療の世界ではGeekである医師がその立場につくことがほとんどだ。それも、医学において顕著な実績を残した優秀なGeek年功序列という要素も加わって偉くなり、結果的にCEOの座につく。この構造は明らかにおかしい。GeekであるならばCTO(最高技術責任者:chief technical officer)となるべきだ。
なぜなら優秀なGeekが優秀なSuitであるとは限らないのだから。極論を言えば、優秀なGeekはどこかしら変わり者であるからして(もちろん人格者も存在するが)、経営やハイレベルな人間関係の構築に長けている類の人間ではないのでは?と思う。
他方、別の考え方も存在する。この問題について同僚と議論した際の友人の意見に「医学であれなんであれ、その道を究めたプロフェッショナル(以下「一流」)であれば、そこに辿り着くまでの手段や思考ロジックが洗練されていると見ることが出来るんじゃないか。だとしたら一流の人間が経営者となって相当な手腕を振るう可能性は高いのではないか」というものがあった。
確かにその可能性は存在する。「頭のいい人は何をやらせても上手い」という可能性だ。将棋の羽生善治氏は将棋の才能だけでなく、物事の本質を見る才能がずば抜けて高いという人もいる。「本質を見る目があるから将棋も強い」というわけだ。しかし「将棋が強いから本質を見る目がある」という逆の論理は成り立たない。
とどのつまり「一流にやらせたほうがいくらか可能性が高い」というレベルの話ではないかと思うのである。
 
このまま論理展開をしていくと「Suitに病院経営をやらせろ」という方向に行ってしまいそうだが、私はそれにも反対だ。
Suitはとにかく「金」「カネ」だ。「赤字だからコストを抑えろ」といくらGeekに言っても通じるわけがない。
ここで仮に経営のベクトルをX軸に取るとする。Geekは技術を追求する存在であり、医療におけるGeekは「治療実績」を向上させるアカデミックな方向、もしくはその180度反対のベクトルで看護師に多く見られる「患者さまとの心のかかわり」を重視する方向のどちらかを向いているのだ。それは経営というベクトルとは直交するY軸要素であると考える。
このようなGeekにSuitがいくら効率的経営を説いても理解されるはずが無い。反発を招くだけだ。そもそも思考のベクトルが違うのであるから。しかしまぁ経営のベクトルでGeekを口説くSuitが多いのにはびっくりだ。
なぜ「君の技術を生かすためにはここをこうしたら・・・」「貴女がもっと患者さまと深く関わるためにここを効率化しましょう」といった論法が使えないのだろうかと常々思う。
 
ではどうしたらよいのだろう。
私は言おう。医療機関SEOに求められているのはスティーブ・ジョブスだ。と。
その意味はGeekとしてのベースを持ち、Geekの気持ちを十分に酌んだ上でGeekを動かすことの出来る人物。GeekのY軸要素を伸ばしながらこっそりとX軸を経営側にシフトすることが出来る人材。そんな存在が必要だ。
具体的にはやはりGeekの骨頂である医者だろう。「おい、結局そこかよ!」というツッコミはご容赦願いたい。(笑)
しかし現在の構造のように一流のGeekである必要は全くない。もちろんスティーブ・ジョブスのように一流のGeekであれば理想的なのは言うまでも無いが、人には才能や向き・不向きがあるわけで、Geekとして一流になれなかったが人身掌握がずば抜けて高いような人をSuit側にシフトさせるような構造というものはできないのだろうかと思うのである。