SKE48とうつ病のその後

某IT企業さんに担がれての全国講演ツアーですが、水曜日に大阪、金曜日に名古屋というスケジュールだったので、長野に戻ってくることはせずに2泊3日の旅となりました。
となると木曜日が1日オフになりますね。
blogのプロフィールを見て頂いている人はお気づきかと思いますが、私はAKB48ヲタです。といっても、最近は推しメンが次々と辞めてしまってどちらかというとSKE48に移行しています。
そんな中、大阪か名古屋で1日オフが発生しました。となればやることはただ一つ!「SKE48公演を見ること」です。(笑)
まぁ、たまにはいいですよね。公費(病院負担の)出張じゃないしwww
で、見て参りました。事前の抽選に外れたのでキャンセル待ちで入ったため、立ち位置はほぼ最後方だったのが残念ですが、十分に堪能して来ました。
ですが、エントリーのタイトルが「SKE48うつ病のその後」とありますので、私のうつ病について少し感じたことがあったので書き記します。
 
公演の再終盤(アンコール2回目)にはSKEが出したシングル曲を連続で歌うという最大の盛り上がり場所があります。
これを聞いたとき、とても感傷的になったわけですが、それはなぜかと言うと1年前の自分を思い出していたからです。
今からちょうど1年前の4月というのは、電子カルテ更新で心を病み、動くことすらままならず一日中ベッドの上でボーっとすることしか出来なかった療養休暇の時期でした。
病院(職場)からの電話が怖くて怖くていつもビクビクしていたし、楽しみはしいたけを育てるぐらいで(笑)、外出するのは2週間に一度のドクターの診察日ぐらいだったと記憶しています。
そんな私がやっと動けるようになり家の近所を散歩し始めたのは5月になってからでした。
その散歩の際にいつも聞いていたのがSKE48のシングルでして(笑)、SKEのシングルはアップテンポの曲が多くて歩くのも辛かった私の心を励ましてくれていました。
SKEを聞きながら私は「ちゃんと社会復帰出来たら(&願わくばダイエットして)、SKEの公演を見に行こう」と、それを自分へのご褒美にしよう、そう思いながら歩いていたことを鮮明に覚えています。
 
あれから1年。まだ抗うつ薬は極量処方のままですが(カリフォルニアロケット継続中)、ここ数ヶ月はやっと調子が上向いてきて、朝起きたらうつダルマで仕事をお休みすることが無くなってきました。
主治医のドクターからも「使い果たしちゃったエネルギーがやっと回復してきたかもね。長いトンネルの出口は見えてきたかな?」という言葉をもらえるまでになりました。
うつ病は「1年を(急性疾患の)1日と思え」と言われるぐらい寛解までの時間が長い病気です。やっと1日が過ぎて症状が落ち着いてきましたが、先はまだまだ長いというのも確かです。
そんな中で思いもよらずSKEの公演を見ることが出来ました。そして、1年前に近くの橋から景色を眺めながら散歩していた時に決めたご褒美を思い出したのです。(実は忘れていたwww)
まだまだ寛解とはほど遠く、おそらくこれから服薬量の減量をしていく時にどうなるかは分かりませんが(昨秋に減量したところ症状が悪化した、いわゆる「揺り返し」を経験しているので)、まずはなんとか社会復帰してなんとか仕事をこなしている私への、それは仲間と夢見たシステムを実際に作り上げた過去の私たちからのご褒美だったのだろうと、そう思って感傷的な気分になりました。
 
ま、実際のアンコール中はノリノリでしたけどね!メンバーのみんなともハイタッチ出来たし、ホクホクしながら名古屋のオフを楽しませてもらいましたとさ。
それと、残念ながらダイエットには成功していませんので、ご褒美を先にもらっちゃった私はこれから更にダイエット頑張ります。(笑)