博士の愛した数式と認知症

昨日のエントリーにも書いたが、「博士の愛した数式」の昨日DVDを見ました。
面白かったです。数字の絶対さや素数の世界観など「ああ、そういう見方もあるんだな。それっていいな」という数学的な面で。
でも、あの映画には記憶が80分しか持たないという背景を踏まえ、医療や介護とりわけ認知症に通じる意味合いが含まれていたのだと知って心底驚きました。なぜなら、私は工学と医療との狭間で生きていますが、あの映画を見るかぎり、上述したような工学的な視点しか持っていないことに改めて気づかされたからです。
非常に情けない。「工学を医療に」と思っているつもりだったけれど、実のところそんな理想など私が「勝手に思っている」に近い状況だったわけです。いや違う、工学と医療を結びつけるあまり、介護という現実にある状況、ひいては患者さまの病状にあまり目を向けていなかったわけです。
ちなみに私は医療における機能分担論者です。前方(開業医)→急性期(高度医療機関)→後方(開業医・療養型・)→在宅の中で、「前方は前方、後方は後方、そして急性期は急性期」という分けたドライな考え方、それは言い換えれば「いいじゃん、分担すれば」「何をやり(何が出来るか)、何をやらないか(何は出来ないのか)、それは1か0かだ」という考えで、基本的にこの考えが私は間違っていないと思っている。それぞれがそれぞれの役割(やりたいこと)においてベストを尽くすのが効率的だし、それ以外に医療破綻を阻止する術はないのだろうから。
だけれども、所詮「1か0」のビット演算しか出来ないコンピュータと同じレベルなんだ。
機能分担すればするほど患者さまを核としたn対nの連携(ネットワーキング)が重要であることは日々の仕事の中で感じてはいるけれど、自分は人付き合いとか相手を思いやることとかそういうことが苦手だから、イマイチ理解できずにどこかで一線を引いてビット演算の世界に戻ってしまうんだ。「情報を繋く」という手段の構築を想像する方向に。
それを私の中でブレイクスルーできたらもっと視野は広がるのにと思うが、たぶん出来ないだろう。
 
だから改めて「そんな自分に何が出来るのだろう」と考えてしまう。