移行作業のためシステム停止ちゅう

とうとう、というかいよいよ本稼働に向けたシステム移行が始まりました。
今日未明の0:00で旧システムを停止してデータ抽出開始。現在(11:00)データ移行とインターフェースの接続切り替え中です。
院内はベンダー、プリンタメーカー、高精細モニタメーカーの作業員が来てごった返しています。
今日中にデータ移行とほとんどのインターフェースが回復する見込みです。
もう後戻りは出来ません。
 
思い返せば7年ほど前、今日の日のために大学に編入し、情報工学で大学院も出た。大学院出たらすぐに今回のプロジェクトが始まり、この7年のほとんどをこの日のために費やしてきたと言っても過言ではない。
昨日の出社時、そんなことを思い出して感慨にふけった。

 文庫本1冊を3年間かけて読み込む授業を行なう伝説の国語教師がいた。生涯心の糧となるような教材で授業がしたい、その思いは公立校の滑り止めに過ぎなかった灘校を、全国一の進学校に導き、数多のリーダーを生み出すことになった――。
 
 教師は、文庫本の一節を朗読すると、柔らかな笑顔を浮かべ紙袋を取り出した。生徒たちは、今日は何が出てくるのか、と目を輝かせる。出てきたのは赤や青、色とりどりの駄菓子だった。
 
 教師は、配り終わると教室を制するようにいった。
 
「もういっぺんこの部分を読みます。食べながらでいいので聞いてください」
 
 読み上げたのは主人公が駄菓子屋で飴を食べる場面。
 
〈青や赤の縞になったのをこっきり噛み折って吸ってみると――〉
 
 生徒の一人はこう呟く。
 
「普通なら飴を噛み折る音って『ぽきん』『ぱきん』だけど、確かに『こっきり』のほうが優しくて甘い味の感じがでているなあ……」
 
 灘校を東大合格者数日本一に導いた「銀の匙」教室の授業風景である。教科書は一切使わない国語の授業。文庫本『銀の匙』(中勘助)1冊を横道に逸れながら中学3年間かけて読み込む。
 
 前例なき授業を進めたのは橋本武先生、御年98歳。50年間教鞭を執り、昭和59年に同校を去った。橋本先生が退職して27年を経た。だが、今も「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草となっている。
 
 では、橋本先生が生徒たちに植え付けたものとは? 橋本先生はこう語っていた。
 
「“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの神髄に近づいていこうとする力こそが国語力です。それは“生きる力”と置き換えてもいい」
 
 教科書を使わない、一つの言葉につき脱線する授業に生徒の戸惑いがなかったといえば嘘になる。あるとき生徒はこんな質問をした。
 
「先生、このペースだと200ページ、終わらないんじゃないですか」
 
 橋本先生は教室を見渡した後、静かな口調でいった。
 
「スピードが大事なんじゃない。すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります。何でもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことはいつか分かりますから」
 
 言い終わると、頬を緩め、再びプリントを配り始めた。
 
 東大総長・濱田純一氏は、このとき教室にいた生徒の一人だ。いつか分かりますから――その言葉通り橋本先生の教えを財産にしている。
 
「改めて素晴らしい授業だったんだなぁと。僕らが大学で原書講読をやる時のやり方と似ています。一つの言葉に拘ることでその背後に広がる概念や感覚や考え方と繋がってくるわけです」

スピードが大事なんじゃない。すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります。何でもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことはいつか分かりますから
の言葉を今日見て、「ああ、そうなんだ。そうだったんだ。間違ってなかったんだ」と思いました。

いつも感謝。冷静に丁寧に正確に。みんなの夢が叶いますように。