なぜ怒るのか

このゴールデンウィークは仕事や研究のこと、一切考えないようにしました。
嫌でも考えてしまうのだけれど、頭に浮かんだ瞬間に抹殺。意識的にそれらから逃げた。
そしたらとても穏やかな日々でした。
でも、明日から仕事なという今日の日。どうしても考えてしまう。
そんな時に読んだのがこのエントリー
「怒る」ということに必要があるのか、それは今の時代において無用じゃなかいかという論旨。
賛成です。怒る必要はないんだ。怒らなくても他に解決する手法はいくらでもあると思う。
だから今までの人生で本当に怒ったことなど一度も無い。長い付き合いのマイミクからも「温和な江頭くん(仮名)が怒るなんてよほどのことだったの」ってメッセージをもらうぐらい「怒る」ということに関しては縁遠いキャラだった。
 
なのに逆上してしまった。
それは何も生産しないのは分かっていても抑え切れなかった。
今抱えている不満の解決手法について論理展開のしようもないぐらい行き詰っていた。
解決手法が導き出せない(提案できない)現状で、僕はたった一言で逆上した。
 
そこに必要はあったのかと改めて考えると、稚拙な僕にはそうするしか他に手段が見つからなかったんだ。必要とか不要とかとは違う。
今週か来週に副部長と面接をすることになるのだが、彼に何かが伝わっていたのなら効果はあったと考えられる。伝わっていなければ僕はまったく無駄なことをしたことになる。
要は、「怒る」という行動では相手に伝えるためのもので、伝わらなければそれは諏訪耕平さんが言うとおり不要なものだったということだ。