医療情報学会 in 鹿児島 まとめ

少し遅くなりましたが、今年の医療情報学連合大会のまとめを書きたいと思います。
昨年は電子カルテの更新で「死ぬか生きるか」の瀬戸際だったので参加できませんでしたので、2年ぶりとなります。
今年の学会はちょっと「毛色が変わってきたな−」という印象を受けました。
今までは
「日本版EHRはどうあるべきか」に代表される大風呂敷広げたものと、「データの活用はどうしよう」といった足下を見た課題に二極化されていたと思います。
が、今年は違った。
まずは

なんと言っても今年は東日本大震災に見舞われた年であり、改めて病院の役割や準備とそれに加える形で事業の継続性(BCP)がフィーチャーされていました。
被災地の中心に有りながら唯一病院機能を継続することができた石巻赤十字病院の院長先生の話はとても得るものは大きかったです。
先生がとりわけ強調していたのは、震災直後から次々と運ばれてくる患者様に対して、職員が機転を利かせて患者IDだけは付番をしていった、それはカルテ(診療録という集合体ではなく、ただのA4用紙)やトリアージタグにも。後になれば「その記録が誰のものか分かる唯一のものだった」と、IDがそのidentityをいかんなく発揮したわけです。
この話を聞いていて、親友のある日のblog記事を思い出しました。

 石巻で感じたことは自分自身の無力さであった。事務員としてできることも少なかったし、融通が利かなかったため、かえって周囲に迷惑をかけた。医療の事務屋の世界では比較的いろいろなことを経験してきた自負はあったが、本当に何もできなかったという思いを胸に長野に帰ってきたことが忘れられない。確かにその経験自体はつらいものであったが、同時に自分の未熟さを再認識した意味では、よい経験をしたとも思った。
 石巻で私がほとんど唯一まともにできたことは、自分たちが担当した避難所(青葉中学校)で診療を受けられた方のカルテ整理くらいであった。あとで探しやすいよう、完璧にあいうえお順に並べ替え、ファイリングしておいた。そこにどれだけの意味があるのかは正直わからなかったが、逆に当時の自分にはそれくらいのことしかできることが思いつかなかったのだ。
 
 それから時は半年以上たった。昨日、私は長野県診療情報管理懇話会に出席した。石巻赤十字病院の病歴管理係長ある成澤千代さんの講演を聴き、改めて当時の惨状と自分自身の心を痛みを思い出した。この会は、平たく言うとカルテ管理従事者の会なので、そのときの避難所のカルテはどうだったのかきいてみたかったが、話は当然「石巻赤十字病院本体に受診された方のカルテ情報」が中心であり、プレゼンの中では「避難所のカルテ」には1分くらいの時間しか割かれなかった。
「きれいにファイリリングされた避難所のカルテにも手をつけないといけないかと思っていたが、そのカルテは分析のため、国の機関にいったん引き取られた。大量にあったため、さびしい気持ちとほっとした気持ちが同居した」との話であった。
 まあ、とりあえず避難所のカルテも後利用に少しでも役に立ちそうで私もほっとした。
 
 そして、会議終了後の情報交換会。私は成澤さんとお話をした。
 
ひげ「実は私も3月末に医療団の一員として貴院にお伺いしたんですよ」
成澤さん「そうなんですか。お疲れ様でした。ひげさんは何の業務をされたんですか?」
ひげ「青葉中学校の避難所担当でした」
成澤さん「そうなんですか!プレゼンに出したあの写真(きれいなファイリングされた避難所のカルテ)は青葉中学校のだったんですよ。こんな風にまとめてある避難所もあるんだ!と感心して、紹介したんです。じゃあ、あれはひげさんのおかげなんですね!」
 
 その話を聴いて本当に感動した。その後も避難所の診療が続いたわけだから、私たちの後に青葉中学校担当だった医療チームも、同じようにファイリングを続けてくれていたのだ!!

していることすべてに意味がある-ひげめがね日記

結局、電子カルテなんて大きな災害に遭ったら、そんなものは役に立たないのだろう。災害が大きくなり被災者が多くなるほどに無力化していく。
そういう場面では紙って最強だよなー。と素直に思いました。
 
で、BCPに続いて気になったのは

  • 看護記録

学会2日目は「VIVA NURSE DAY」とまで銘打って、看護中心のセッションが多く開催されました。
今までは、看護支援システムすら導入されていない、もしくは導入さてれいたとしても電子カルテとは別ベンダーで連携が悪いだのどういったあまり次元の高くない発表ばかりだったのですが、なんと今年は「VIVA NURSE DAY」ですよ。電子カルテが普及してきたんだなーと思いましたです。
で、テーマの看護記録。聖路加看護大学の岩井名誉教授の話は「うんうん」と頷きっぱなし。「看護記録はProblem Orientedで書くべき。その患者さまにとって何が問題で、その問題に対してしっかり記録する。逆にその問題に対して書くべきことが無かったら、その時間はベッドサイドに行きなさい」と。
もう素直に頭を垂れるしかありません。水戸黄門の印籠を出した時の町の衆の「ははーm(__)m」状態です。
とこの論調で書くと思ったでしょ。違うんだなー。
岩井教授の言っていることは、当院の看護部長も同じことを言っているし、この問題に対して最も印象的なのは去年のクリニカルパス学会で「なぜ看護記録は減らないのか」をの命題に対して「看護師は記録を書きたい生き物である」という結論だったフランクな発表があったのだけれど、これぞ問題の本質だと思う。
見方的には「話を聞かない男、地図を読めない女」に代表されるジェンダー差で、「Problem Oriented?なにそれ?」に始まり、仮に理解したとしても思考過程がそういう仕組になっていない多くの女性にとってこれは永遠の課題なのではないかなーと思います。
だから、岩井名誉教授のお話は「うんうん」と聞きながら、「現場で実行する難しさ」に思いを馳せていました。
 
で、話ははじめの方に戻って、なぜ日本版EHRやデータの二次活用の議論がどこかに行ってしまったのかについても触れたいと思う。
まず、日本版EHRは明らかに大風呂敷を広げすぎた。やっと医療の電子化が一般的になってきた世間の病院は、一部の大学病院が電子カルテが当たり前の前提でその先のことを話すから(それもやけに技術的に話す)興味を失っちゃったんだ。
 
そして、データの二次利用については、もうみんな諦めている。「活用なんて無理だ」「所詮は夢物語だったんだ」と諦めの境地に立ち始めている部分が多分にあるような気がしてならない。そりゃ当たり前で、お金はなるべく安く、でも臨床にも使いやすくデータの後利用も出来るシステム、そんなもんな無い!(笑)
だた、唯一キラリと光っていたのは国立成育医療センター。あそこはウチの病院の電子カルテデータベース(RDBじゃなくて多次元DB)の会社(intersystems)が売り出しているETLツールを使って、複数のデータソーズを統合している。大々的に発表してなかったけど、あの中でやっていることは大体想像出来る。
当院のように可視化に重点を置くか、解析に重点を置くか、それはバランスがちょっとどちらかに傾いて居るだけの違いだ。
来年の学会ではこのネタで演題を出したいと思っている。春の学会は函館だからだwww

なんだかまだ書くことあるんだけど、長くなったので一旦締め。